ぼくの小説作法
……・ときどきサンドイッチ作り・……
大石大
第13回 昨日の敵は今日の友
2024.4.22

 十歳になるまで『ドラゴンボール』以外の漫画を読んだ記憶がない。
『ドラゴンボール』だけは家に単行本が全巻あり、それをひたすら読み返していた。そのおかげで、『桃太郎』や『浦島太郎』といった昔話を諳んじることができるように、『ドラゴンボール』のストーリーも、細部まで正確に語れるようになった。僕と同じくらい読み込んでいる同級生も多く、学校で『ドラゴンボール』のマニアックな知識を問うクイズを出し合ったこともあった。
 あまりにも身近すぎる存在だったために、以前、「好きな漫画は?」と問われたときに、『ドラゴンボール』の名前が挙がらなかったことがある。
 よくよく考えてみると、僕は『ドラゴンボール』を好きだと思ったことも、面白いと感じたこともない。「面白い」という感想は、比較対象、つまりつまらない漫画の存在を知ることによって初めて成立する。ほかの漫画を知らなかった僕は、特に「面白い」と自覚することもなく、呼吸をするのと同じような感覚で、ひたすら同じ作品を何度も何度も読み返していたのだ。
 大人になった今でも、『ドラゴンボール』という作品を客観的に捉えることができない。
 以前、鳥山明の漫画がいかに革新的だったかを語っている記事を読んだことがあるのだが、言っていることは理解できたものの、今一つ同調できなかった。漫画といえば『ドラゴンボール』であり、漫画家と言えば鳥山明だった僕にとっては、革新的どころか、あれこそが漫画の標準だったからだ。
 ほかにも、大学生のころ、同級生が「初期は面白かったけど、後半は読んでいてしんどい、特に魔神ブウ編は展開にかなり無理がある」と話しているのを聞いてびっくりしたことがある。『ドラゴンボール』を創作物として批判的に論じるなど思いもよらなかった。僕にとっては、たとえば日本の歴史に対して、「戦国時代は波乱万丈で面白いのに、江戸時代は幕末まで平和な時代が続いてつまらない。もっと中期に刺激的な事件を起こすべきだった」と文句を言うのと同じくらいありえないことだったのだ。
『ドラゴンボール』は、僕にとってお米のような存在だった。
 毎日当たり前のように食べているけれど、いちいちそのおいしさに感激することはないし、好きな食べ物を聞かれてお米と答える人もいない。だけどお米のない食生活は絶対にあり得ない。
 お米に匹敵するものを生み出した人が、このたび亡くなってしまった。
 訃報に接したのを機に、客観視するのが難しい『ドラゴンボール』の、何が魅力的だったのかをあえて考えてみた。
 本作では、かつての敵が味方になる、という展開が多用されていた。主人公の孫悟空とともに戦う仲間は、息子たちを除けば、ほとんどがかつて敵対した相手だった(ヤムチャ、天津飯、ピッコロ、ベジータなど)。かつて主人公をおびやかした強大な敵が仲間として登場したときの意外性や頼もしさがあったからこそ、『ドラゴンボール』に夢中になったのかもしれない(夢中になったという自覚すら当時はなかったけれど)。
 この、かつての敵が味方になる展開は、『ドラゴンボール』と同時期に週刊少年ジャンプで連載されていた漫画ではよく見られるものだった。『キン肉マン』や『ダイの大冒険』といったバトル漫画は頻繁に起こっていたし、スポーツ漫画でも、『キャプテン翼』のように、かつては他校のライバルだった選手が、国際大会の際には味方になり、海外の強豪国を相手に力を合わせる姿は、読み手の胸を熱くさせた。
 ジャンプ以外の作品でも、この展開はよく見られる。特に僕が好みなのは、本来反目し合うはずの相手と、利害が一致してタッグを組むパターンだ。ミステリー作品にこの展開が多く、たとえば『金田一少年の事件簿』では、主人公の宿敵である『地獄の傀儡師』を名乗る存在と、同じ事件を解決するためにタッグを組む回があった。『羊たちの沈黙』は、主人公の捜査官が猟奇殺人事件を解決するために収監中のシリアルキラーの頭脳を借りる物語だ。天藤真の小説『大誘拐』では誘拐犯と誘拐された女性が共同の目的のために手を組んだし、最近観た『真実の行方』という法廷ものの映画では、やはり同じ目的のために検事と弁護士が協力する展開が見られた。
 本来対立するはずの組み合わせを列挙していき、その両者が協力し合うストーリーを考えたら、魅力的な物語が生まれるかもしれない。すでにさまざまなパターンが作品化されてはいると思うが、探せばまだあるはずだ。
 それにしても、敵対する(していた)相手が味方になる展開に、これほどまでに心躍るのはなぜなのか。その理由を考えていた際に、二十代のころ、相性が悪いと思っていた職場の同僚と仲よくなったときのことを思い出した。
 同性で年齢も近いため、本来なら親しくなってもおかしくないのだが、彼とはなんとなく馬が合わず、会話はどこかぎこちなかったし、向こうも僕と話していても楽しいとは感じていなかったと思う。そのため、業務上必要なやりとり以外の会話がほとんどないまま数年が経った。
 ただ、二人とも競馬が好きという共通点が見つかってから、仕事中に顔を合わせるたびに競馬の話をするようになった(わかってる、本当は仕事中に競馬の話をしてはいけない!)。そのうち自然と競馬以外の話もするようになり、休みの日も一緒に競馬場に行ったり、お酒を飲みにいったりと、それまで距離を置いていたのが嘘のように仲よくなった。
 別に、無二の親友になった、と言えるほどの間柄ではなく、当時の仕事を辞めた今となってはもう生涯会うことはないだろう。ただ、そりが合わない、と決めつけていた相手と、休日に一緒に出かけるほどの関係を築けたことがうれしく、これまで仲よくなった人の中でも特に印象に残る相手となった。人は意外と、たくさんの人とわかりあえるのかもしれない、と思わせてくれた出来事だった。
 敵が味方になる展開に胸が熱くなるのは、人間はみな、他人とわかり合いたいという欲求があるからではないだろうか。
 誰だって、嫌いな人や苦手な人は何人かいるはずだ。でも、本当だったらそういう人とも仲よくなれた方が人生は楽しいし、世の中は平和になる。僕たちの、どんな相手とでもつながりたい、という本能が、『ドラゴンボール』のような物語を求めているのかもしれない。こう考えると、戦争や虐殺が絶えない世の中ではあるけれど、まだまだ人間も捨てたものではない、と思えてくる。ちょっと甘いだろうか?


著者プロフィール

大石大(おおいし・だい)
1984年秋田県生まれ。法政大学社会学部卒業。『シャガクに訊け!』で第22回ボイルドエッグズ新人賞を受賞(2019年2月1日発表)。受賞作は光文社より2019年10月刊行された。2020年、短篇「バビップとケーブブ」が「小説宝石」12月号(光文社)に掲載。2021年5月、単行本第2作『いつものBarで、失恋の謎解きを』を双葉社より刊行。2022年5月、単行本第3作『死神を祀る』を双葉社より刊行。短篇「シェルター」が「小説宝石」7月号(光文社)に掲載。短篇「危険業務手当」が「小説宝石」8・9月合併号に掲載。2022年10月、『シャガクに訊け!』が文庫化、光文社文庫より刊行。2023年、光文社より『校庭の迷える大人たち』刊行。2024年3月、『恋の謎解きはヒット曲にのせて』(双葉文庫/『いつものBarで、失恋の謎解きを』改題)刊行。

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